★加美町の地酒専門店★ ★ギフトショップサラダ館★ 各種内祝や弔事用など各種ギフトのご用命も承ります

田中酒造店

積み重ねた歴史が伝統の技に活きる
※720mlの2本セットや3本セット、1.8Lの2本入も組合せ自由にセットいただけます。 「カテゴリー」の「その他・ギフト箱など」から化粧箱をお選びいただき商品と一緒にご注文下さい。 異なるメーカー同士でも可能です(^^)
< 前のページ
29件 [ 1-24 ]

地の利と技術伝承の情熱が生んだ酒

当地加美郡中新田は都から続く東山道沿いにあり、後に中世に入り奥大道と改名するも、東北における基幹道路沿いで、南北或いは山形側との交流と交易の要所でもありました。古くは中新田城の城館があり、後に中新田縮と呼ばれ長らく伊達藩の財政にも大いに影響を与えたと考えられます。それらは当地の地理的要素が大いに貢献し、西に奥羽山系を望み峠を越える出羽街道は尾花沢より北上川で酒田港に通じその先に京の都があり、東に肥沃で広大な平野が広がり仙台湾にそそぐ鳴瀬川と街道網が国府多賀城或いは仙台城下へと伸びていました。特有の冷涼な気候や強風による火災などがあったものの、当蔵元田中家はそれらの地理的背景のもと、主に古着商として江戸時代には隆盛を極めました。東北は寒冷で綿花などの生産はありませんでしたが、需要は大きく仕入れ先の大阪では田中家が仕入れに行った後は在庫がなくなり同業者が大変苦労したとも言われ、仙台城下にあっては「上方古着の上物は中新田の土蔵にあり」と言わしめたそうです。酒造業を始めたのは寛政元年ですが、時は天明の大飢饉がようやく過ぎ地元では凶作から中作へと回復していった2〜3年後の事であり、経済は復興の途であったと予想されますが、今に続く歴史を考えると当主田中林兵衛の商売人としての先見性が見て取れ、明治期には多角的な経営と町政への参加や加美水電株式会社への参画など、その貢献は著しいものであたようです。そのような田中家の変遷からも、当蔵の伝統製法を物語ることができるかもしれません。県内でも珍しく山形の庄内杜氏の伝統を受け継いでいることは前述の交易の歴史から想像には難しいことではなく、北前船で京都と通じる酒田や鶴岡には古くから庄内杜氏或いは大山杜氏と呼ばれる東北随一の酒造りの集団が存在し、一説には彼らが南部杜氏や山内杜氏などに技術を伝え、東北の酒造りの起源であるとも言われています。おそらく、地域でもいち早く酒造りを始めた田中家には庄内杜氏の採用は必然だったのかもしれません。今も残る白壁土蔵造りの田中酒造店の店構えはその歴史を伝えるに余りありますが、酒造りもまた伝統の山廃仕込みを基礎とし、古くからの木製暖気樽や麹蓋(こうじぶた)の使用にも後発の蔵元とは違う伝統製法への誇りが感じられます。近年では県内で長らく途絶えていた手間暇のかかる生酛(きもと)仕込みを復活させ好評を得、その味は無数の雑味が複雑に調和し、近年もてはやされる吟醸香やスッキリと雑味が少なく食中酒に好適な酒とは対局にありますが、米と麹の味わいを最大限に引き出した良酒です。酸のある重厚な味わいは、是非ぬる燗でご賞味いただければ酒好きの嗜好もまた一つ増えるものとお勧めです。「真鶴」の命名は仙臺藩の上級家臣で中新田に1,200石の知行地を持つ只野行義(ただのつらよし)が寛政9年に結婚した当時最先端の女流文学者でもあり女性思想家でもあった只野真葛(ただのまくず)が庭によく訪れる鶴にちなみ命名。近年では「真鶴」の他に当主名の田中林兵衛にちなんだ「田林(でんりん)」の名前で都市部に限定出荷するなど話題の蔵でもあります。当地加美郡中新田の変遷の中にあり、度重なっる飢饉や疫病、水害や火災を乗り越えた歴史が、益々その味わい深くしてくれます。

おすすめ商品